2013年10月03日

(長文)第4回・第5回津波堆積物ワークショップ

食品安全情報blog2013年9月24日で紹介されていた記事「・ 雑誌の編集者たちが毒性について競り合う」に対する,uneyama氏のコメントを紹介する。
各分野の専門家が協力する、ことと、専門でない分野への言及を専門家と同じ重みで扱えと主張することは違うけど。それって専門性軽視だし
このuneyama氏のコメント読んで,思い出したことがあった。
以前,本blogでも紹介した,古津波堆積物に関する研究についてである。

2013年9月,東北大学を会場に,日本地質学会仙台大会が開催された。その関連イベントとして,日本地質学会と日本堆積学会の共同開催で行われた,第4回・第5回津波堆積物ワークショップに参加した。
第5回ワークショップで,産業技術総合研究所の宍倉正展氏の発表に対して,仙台市教育委員会文化財課の斎野裕彦氏が質問した。その内容は,斎野氏が関わった仙台平野の遺跡調査の実績を基に,宍倉氏ら産総研チームのジオスライサーを用いた津波堆積物研究成果に対する疑問であった。

東日本大震災後,度々報道されているように,仙台平野を始めとする東北太平洋側では,少なくとも2回の巨大津波が襲来している(いわゆる「慶長津波」は科学的に不明な点が多いので,ここには含めない)。それは,弥生時代中期(今から約2,000年前)の巨大津波と貞観地震(9世紀)に伴う巨大津波である。弥生時代中期の巨大津波は,地震に伴った津波であることが遺跡調査から示唆されている(仙台市荒井広瀬遺跡)。
弥生時代中期の津波堆積物を面的に確認した仙台市沓形遺跡は,現在まで計3回の発掘調査が行われている。3回の調査面積は,合計25,432m2(約2.5ha)。沓形遺跡の調査では,自然堆積層下層に10世紀前半に降灰したとされる十和田a火山灰が確認されており(3b層下層),その下層(3c層)も自然堆積層,さらにその下層(4a層)に水田遺構が確認されている。4a層からは土器が複数出土しており,その土器型式(塩釜式)から,4a層の水田遺構は古墳時代前期のものと位置づけられている。
ここで注目すべきは,古墳時代前期(4a層)から十和田a火山灰を含む自然堆積層(3b層)の間の自然堆積層3c層では,津波堆積物と思われる堆積物が確認されていないことである。貞観津波当時の海岸線は,現在より1.1〜1.5km西側(第3浜堤列よりやや陸側)にあったと推定され,沓形遺跡は貞観津波当時の海岸線から2.5〜2.9km西側にあったと推定される。東日本大震災では,津波堆積物の堆積状況調査から,津波浸水の海側約50〜60%に砂質津波堆積物が堆積したことが分かっている。貞観津波が東日本大震災時の津波と同規模と仮定すると,当時の海岸線から2〜3kmまでは砂質津波堆積物があったと推定される。貞観津波当時,沓形遺跡は人間活動が確認されていない自然堆積層(3c層)だったと推定されており,その自然堆積層(3c層)の上に十和田a火山灰(3b層下層)が降灰している。これらを合わせて考えると,貞観津波が東日本大震災の津波と同規模であれば,沓形遺跡でも貞観津波に伴う砂質津波堆積物が残っていてもよいはずである。先に述べたように,沓形遺跡の調査面積約2.5haで,ほかに試掘調査も行われるなど,かなり大きな面的調査が行われているが,いずれでも貞観津波に伴う砂質津波堆積物は確認されていない。

一方,宍倉氏も一員である産総研チームのジオスライサーを用いた津波堆積物研究は,幅10〜15cm長さ1.5〜3.0m厚さ2〜3cmのジオスライサーを用いたボーリング調査を主とした仙台平野(仙台市,名取市,岩沼市,亘理町,山元町)の約100地点でのボーリング調査結果を基に,貞観津波の浸水域をコンピュータでシミュレーションしていたもの(宍倉ら2010,3ページ)。ほかに石巻平野や福島県沿岸部などでも調査を行っているが,今回は仙台平野について触れる。
仙台平野のボーリング調査地点の一部において,C14年代測定法による理化学的年代測定も行われている。各地点の地層の堆積状況とC14年代測定法の結果を線で結ぶ形で,貞観津波の砂質津波堆積物の範囲を推定している。
この報告に記載のC14年代測定結果を見ると,十和田a火山灰層直下の砂層の年代(OxCalによる年代較正後の年代)について,次のように考察している。

水神沼において1130〜900 cal yBP,山元町の低地において1170〜1030 cal yBP,亘理町の低地において1650〜1000 cal yBP,名取市において2250〜950 cal yBP(いずれも1σ)であり(第3表),西暦869年(1081 cal yBP)と重複している.
(澤井ら2007,55ページ)

OxCalを用いて仙台における砂層の堆積年代を計算したところ(第2表,第26図,27),地点060421-6において2880〜2600 cal yBP(砂層S4),2250〜1250 cal yBP(砂層S3),1180〜1030 cal yBP(砂層S2),地点060421-11において2540〜2150 cal yBP(砂層S3),1700〜1000 cal yBP(砂層S2),地点060421-18において2000〜1550 cal yBP(砂層S3)という値を示した(いずれも1σ).第27図に示したように,地点060421-6および地点060421-11から得られた砂層S2の年代は貞観津波の時期(西暦915年)の範囲をカバーしており,砂層S2が貞観津波の堆積物とする仮定に矛盾しない.しかしながら,砂層S3については3地点間でのばらつきがあり,他の地域との対比に問題が残されている.
(澤井ら2008,41-42ページ)

地点によっては確かに貞観津波とほぼ同時期の年代値が含まれるが,亘理町低地や名取市の年代値の上限は弥生時代中期も示唆され,容易に貞観津波に比定できるデータではない。
年代値に大きな幅が生じている要因の一つとして,農耕などの人間活動による攪乱を想定しなければならない。仙台平野の水田遺構は,少なくとも弥生時代中期まで遡ることは,産総研チームの津波堆積物研究以前に知られていた。また,貞観の砂質津波堆積物と十和田a火山灰層が良好な形で確認された仙台市沼向遺跡の第1〜第3次調査報告書(2000年3月刊行)では,最も古い10a層水田跡・11層水田跡が古墳時代後期前半以前であると推定されている。こうした考古学分野の研究成果を参照すれば,仙台平野におけるボーリング調査データを検討する場合,人間活動による攪乱を想定しなければならないのは自明の理である。私の見落としでない限り,産総研のリポートでは,この点に留意された様子がない。貞観津波以前の巨大津波を示唆する記述はみられるものの,自らの調査データの限界や留意点については述べられておらず,仙台平野における考古学分野の研究成果を無視している又は知らないとの印象を受けた。
仙台市教育委員会文化財課の発掘調査では,関連分野の研究者との共同研究が多く,先に挙げた遺跡調査ではいずれも,地形,テフラ,年代測定,花粉,植物遺体,プラントオパールなど,多岐にわたる分野との共同調査の成果である。特に沓形遺跡の調査報告書の冒頭,東北学院大学松本英明教授らのリポート「仙台市東部沓形遺跡にみられる津波堆積物の分布と年代」は,松本教授の1980年代から長年調査されてきた成果である仙台平野の地形分類から始まり,津波堆積物と結論付けた科学的理由(砂の粒度組成等)や津波堆積物の年代調査などが,詳細に記述されている。松本教授の調査成果によって,先に挙げた遺跡の形成当時の海岸線も推定されている。

以上のような2分野間の研究成果の違いについて,斎野氏は質問で指摘した。
その質問に対する宍倉氏の回答は,
 地点によっては津波堆積物が残っているとは限らないこと,
 当時の海岸線を考慮して検討する必要があること,
の2点に触れたのみだった。
産総研チームの仙台市での調査地点の幾つかは,沓形遺跡の直近で行われているが(例えば060-421-17,060-421-18),自らの「点」のデータは信用し,2.5ha規模の面的な調査結果は否定するということなのだろうか。当時の海岸線についてのコメントは,宍倉氏が仙台平野における考古学分野の研究成果を知らないことを窺わせる。

私は宍倉氏ら産総研チームのジオスライサーによるボーリング調査のすべてを否定するつもりはない。多くの地点を地道に調査した成果であることは評価したい。しかし,どの分野でも調査の限界はある。その限界を謙虚に認め,その限界を超えるべく,学際研究を推し進めるべきではないのだろうか。特に産総研は日本の産業を支える環境・エネルギー、ライフサイエンス、情報通信・エレクトロニクス、ナノテクノロジー・材料・製造、計測・計量標準、地質という多様な6分野の研究を行う我が国最大級の公的研究機関産総研ウェブサイトより引用)なのだから,率先して学際研究を進める立場にあると思う。
仙台市教育委員会文化財課を中心とした地道な学際研究の成果として示された貞観津波に関する知見について,宍倉氏ら産総研の研究チームは,その内容を精査した上で,学術的批判をもって答えるべきであろう。

なお,私は貞観津波が小規模だったとは思っていない。自然災害としては大規模だったのだと思う(慶長津波についても同じ)。しかし,東日本大震災の津波と比較してどうだったのか,そうした視点においては,私は斎野氏の主張を支持する。

現在の巨大津波に関する論調の大勢は,宍倉氏ら産総研の研究チームによる津波堆積物研究の成果を前提に議論されている。これは学術分野のみならず,行政においても同様である。東日本大震災を経験し,宍倉氏ら産総研の研究チームの津波堆積物研究はあらゆる分野から注目され,引用され続けている。過去の大規模自然災害のアウトラインを知る上ではそれでも構わないかもしれないが,科学的にあやふやな面を持った研究成果を,あたかも学術的に確定された知見として受け入れることは,私にはできない。


<参考文献>
仙台市教育委員会2000「沼向遺跡第1〜3次調査−宮城県仙台港後背地土地区画整理事業関係遺跡発掘調査報告書1−」『仙台市文化財調査報告書』第241集
澤井ら2006「仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波−1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域−」『地質ニュース』624号
澤井ら2007「ハンディジオスライサーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調査」『活断層・古地震研究報告』No.7
澤井ら2008「ハンディジオスライサーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調査」『活断層・古地震研究報告』No.8
仙台市教育委員会2010「沼向遺跡第4〜34次調査−宮城県仙台港後背地土地区画整理事業関係遺跡発掘調査報告書3−」『仙台市文化財調査報告書』第360集
仙台市教育委員会2010「沓形遺跡−仙台市高速鉄道東西線関係遺跡発掘調査報告書3−」『仙台市文化財調査報告書』第363集
宍倉ら2010「平安の人々が見た巨大津波を再現する−西暦869年貞観津波−」『AFERC NEWS』No.16
仙台市教育委員会2012「沓形遺跡第2・3次調査−仙台市荒井東土地区画整理事業に伴う発掘調査報告書−」『仙台市文化財調査報告書』第397集
仙台市教育委員会2013「荒井広瀬遺跡発掘調査遺跡見学会資料」
斎野裕彦2013「仙台平野の弥生時代・平安時代の津波痕跡」『宮城考古学第』15号
松本秀明2013「仙台平野中部に見いだされた弥生時代の津波堆積物−「砂の薄層」から「津波堆積物」へ−」『宮城考古学』第15号
posted by itoh at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする