2012年05月25日

過去の津波被害についての科学的評価

2012年5月20日に開催された,宮城県考古学会研究発表会に参加した。
テーマは,「宮城県における歴史地震・津波被害」。
講演・研究発表を合わせて6題の発表があった。

蝦名氏の「慶長奥州地震津波の歴史学的分析」と題した講演は,その視点は興味深いものがあるが,まだ公表する段階のものではないだろう。
学術研究としては稚拙で科学的なクロスチェックがなく,蝦名氏の想像(創造)に依るところが大きい。このような内容を公表すると,文献史学の科学性が問われかねないと思う。
蝦名氏には,より一層の科学的な研究を期待したい。

研究発表では,発掘調査で津波の様相を科学的に捉えた仙台市沓形遺跡及び仙台市沼向遺跡に関連した報告が,特に興味深かった。
両遺跡の発掘調査に携わった斎野裕彦氏の発表における,考古学の視点から地質学分野における津波堆積物調査,特に(独)産業技術総合研究所や東北大学の調査に対する批判的評価は,今後の歴史的な津波被害の研究について,一石を投じる内容だった。
そのポイントを,2012年3月に報告された「東北地方における環境・生業・技術に関する歴史動態的総合研究 研究成果報告書1」の斎野氏の報告から,一部引用する。
現状では,沼向遺跡のほかに,発掘調査で,この津波の堆積物を検出した報告例はないが,仙台平野では,産業技術総合研究所活断層研究センターなどによる研究が行われており,澤井祐紀他(2007)は,ジオスライサーを用いたボーリング調査とC14年代測定で,貞観11年(869)の津波堆積物の層準を推定し,津波の遡上距離を算定している。しかし,その層準比定には,沼向遺跡の基本層序のように,上層から順に,十和田a火山灰層⇒間層⇒砂層:津波堆積物という自然堆積層による層序関係が明確に示されてはおらず,確認が必要とされる。特に,十和田a火山灰が層中にブロック状に混入している場合は,間層と砂層:津波堆積物も含めて,十和田a火山灰降下後に形成された耕作土の一部となっていることがあり,その層の直下の砂層は,貞観11年(869)よりも古く,沓形遺跡で検出された弥生時代の津波堆積物あるいは他の堆積物の可能性が高いからである。そのためか,年代測定値には大きな違いも認められている。また,地点的なボーリング調査による層準比定には限界もあり,基本層序の認識や平面分布を把握するうえで,重要な地点では,発掘調査を行って,その確認をすることも想定しておくべきである。
(強調はitohによる)

産総研等が行っているボーリング調査では,過去の耕作による撹乱(水田遺構やハタケ遺構の存在)を捉えることができないため,誤った評価をしている可能性があるということ。産総研等の地質学分野の研究者は,この点を過小評価しているように感じる。また,産総研の報告を読むと,特にC14年代測定結果と津波年代の推定について恣意的とも取れる考察を行っており,その科学性に疑問を持たざるを得ない。
斎野氏の発表では,貞観津波について書かれているとされる「日本三代実録」の史料批判も,非常に興味深い内容だった。

津波堆積物に関する東北学院大学教授松本秀明氏(地形学)の発表も,非常に興味深かった。
松本氏は沓形遺跡や沼向遺跡の調査にも自然科学分野の立場から携わっており,特に沓形遺跡の津波堆積物認定における慎重な科学的分析に関する発表は興味深かった。
その成果の一つである津波堆積物認定について,松本氏の発表資料から一部引用する。
沓形遺跡の発掘担当者である斎野氏との間で多くの議論が交わされ,津波にもたらされた堆積物とするには,(1)堆積年代が同一であること,(2)それが面的に広範囲に堆積していること,(3)海側から供給されていること,(4)沓形遺跡から津波来襲当時の海岸線まで追跡できること,を示す必要があると判断した。

発表の中でこれに加えて,当時の地形や堆積物の分布を明らかにすることも必要であることを指摘されていた。
なお,津波堆積物の特徴について松本氏が,「津波堆積物固有の特徴はない。周辺の地形や堆積状況によって津波にもたらされた堆積物の様相は変わってくる」と指摘されていたも印象的だった。
posted by itoh at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 考古学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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