2016年07月31日

環境を”情緒的”に考えると...

『地球とつながる暮らしのデザイン』を読んでいて度々感じるのが、環境分野の人たちはなぜこんなにも”情緒的”で考えるのだろうということ。この違和感は、以前から感じていたことでもある。

食品ロスを減らすのを指摘してはいても、食品廃棄物を堆肥化して農業で使えば循環型社会となり得ると安易に述べたり、LCAの視点を取り上げつつも何故かフードマイレージの方が強調されていたり、地産地消や旬の農産物利用を安易に勧めたり...。考え方が間違っているとは思わないが、現実をきちんと理解していないと強く感じる。

食品廃棄物を堆肥化した肥料は、NPKのバランスが悪いものが多く、農業生産現場では使いにくい場合が多い。バーチャルウォーターの概念はまだしも、フードマイレージの概念では狭小的視野で全体像は掴めない。だからこそLCAの視点が必要だと思うのだが、LCAなどの数値に頼り切るようりも、五感やセンスで判断できるようになろうよ(110ページ)と述べたりする。農業は産業の一分野であり、経営が成り立たなければ農家をやる人なんていなくなる。農産物の旬の時期だけ出荷していては、単価が最も安いために農業経営は立ち行かなくなる。食料安全保障の観点から本当に国内農業を保護しようと思うのなら、旬の農産物を”栄養価が高く安いから買おう”と言うのではなく、”国内農業を下支えするためにも、旬の農産物でも高い対価を払おう”と言って欲しいものだ。一方、旬以外の時期にも様々な農産物を利用できることによって、常に栄養バランスの取れた食事が可能となっていることも、評価して欲しい。旬の時期にしか農産物を利用できなかった時代の栄養バランスについて、科学的に振り返ってみて欲しい。大体、食料自給率は、農水省の予算取りのためのプロパガンダに過ぎない。世界各国の熱量ベースの食料自給率はすべて農水省が非公開の計算式によって算出していることを、どれだの人が知っているのだろう。食料安全保障を守るためには、国際社会から孤立しないような外交努力がまずは必要である。

本書でははっきりと示されていないようだが、食料自給率よりエネルギー自給率の方が一桁少なく、10%に満たない。農作業だって、人力・畜力のみで行うならまだしも、産業として一定規模の面積を管理するのであれば農業用機械を使う必要がある。その動力源となるエネルギーの自給率が極端に低い日本において、”自給自足”生活は幻想に過ぎない。それを追求すればどのような生活が待っているのか、北朝鮮が良いお手本となるだろう。北朝鮮は、日本よりも食料自給率が高いのだから。

もちろん、環境負荷についてきちんと考え、可能な限り環境負荷低減していくことは大事である。ただ、その考え方が”情緒的”では、多くの人はついていけないだろう。
posted by itoh at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境,食品,農業 | 更新情報をチェックする
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