2008年05月19日

宮城県考古学会10周年記念大会で思ったこと(2)

宮城県考古学会10周年記念大会に参加して,旧石器捏造以外で大きく感じことが一つある。
それは,発表スタイル。

最初に断っておくが,都合があって古墳時代までしか聞いていない。そのため,これから述べることは,総論から古墳時代までの5発表を対象としている。

発表資料にもされた宮城考古学第10号に,今回の大会の発表内容は詳細に書かれている。そこでは,細かな部分(例えば部会活動の紹介など)も時系列に沿ってまとめられており,この10年間の宮城県考古学界の動向を見渡すのには役に立つと思う。しかし,大会発表は,限られた時間で各時代研究のポイントを発表すべきだと思う。研究上重要な調査や論争等を中心に10年間の成果と問題点を挙げ,今後の展望を示す,そういったスタイルであるべきではないだろうか。5発表のうち,そうしたスタイルを採っていたのは,弥生時代のみだった。他の時代研究の発表では,事実確認に重きを置いた傾向が強く,特に古墳時代研究の発表では,部会活動の細かな説明(部会活動の次第の朗読)が大半を占め,聞くに堪えなかった。部会活動中心の発表であっても,重要なテーマは何で,それに対してどのような議論・検討が行われ,その結果,どういった成果が生まれ,また今後の課題として何が提示されたのか,そうした点をまとめて発表するべきではなかったのか。プレゼンの良し悪しは別にして(私はプレゼンは下手な方だ),その内容については,しっかり検討するべきだった。10周年記念大会の発表としては,稚拙さが大きく目立っていて非常に残念だった。例え調査事例が中心の発表であっても,調査の結果何が明らかさにされ,新たな発見・課題は何だったのか,他地域(近隣,遠方)との比較も交えながら,要点を捉えた発表を期待したい。


以上が今回の大会に参加して感じたことで,重い気持ちで会場を後にしたのが,正直なところだ。
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2008年05月18日

宮城県考古学会10周年記念大会で思ったこと(1)

2008年5月17日18日の両日,宮城県考古学会10周年記念大会が開催され,17日のみ参加した。
宮城県考古学会設立から現代に至る10年間の宮城県考古学界の動きを,総論を皮切りに各時代毎に発表があった。記念大会ということで通常の総会より多くの参加者があると思って早めに会場へ行ったが,思ったほど多くはなかった。

各時代毎にポイントとなる調査・研究の成果はあるだろうが,必ず触れなければならないのは,2000年の旧石器捏造問題だ。この問題は,現在においても様々な影響を及ぼしているし,どんなに消したくても消せない日本考古学界(注:決して日本旧石器学界ではない)の汚点である。この問題を如何に当事者意識として考察するのか,あまり期待しないながらも大いに関心があった。しかし,ある意味期待通りに,他人事のような扱いだった。捏造時から8年間,宮城県考古学界の構造的な問題は,何も変わることはなかったのだろうか。


私は(も),旧石器捏造問題について様々な思いがあるが,ここでは1点だけ触れておきたい。
この問題が発覚し検証作業が進められる過程で,関連科学,特に自然科学分野との連携が謳われてきた。しかし,関連科学との連携は,座散乱木遺跡,馬場壇A遺跡,高森遺跡,上高森遺跡など,捏造の中心舞台といえる各遺跡(一部は,現在遺跡登録を抹消されている)での発掘調査で強調されていた事ではなかったのか。検証作業の中で,座散乱木遺跡や上高森遺跡の発掘調査当時,関連科学分野の知見と発掘当事者の知見との食い違いが複数議論されていた事実が明らかにされている。結局,遺物が包含層から出土しているという事実のみを優先し,関連科学分野との相違を科学的に考察できなかったことが(今にして思えば出土遺物が捏造さていたのだから,出来るはずもなく),捏造を長年に渡って続けさせることになった一因ではなかったか。この問題を契機に見直すべき事は,関連科学分野との関係強化ではなく(それは既に一定程度成されているはず),関連科学分野との関係の質的向上なのではないのか。そうした認識が考古学界にあるからこそ,欧米の研究を例に挙げ,人文科学分野に考古学を置く日本のスタイルを見直す提案がされてたのではないのか。

考古学の研究対象は限られた遺跡・遺物であり,私の所属する農学で行われている実験研究と異なって,再現性の低い研究である。しかし,例えば考古学のリポートで時々見かける「相関」という語の使い方を例に挙げても,technical termとしては統計学における「相関」であるのが当然だと思うのだが,考古学の場合,多くは一切統計処理を行わず,何となくデータに「相関らしい」関係が見られるというだけで用いられている。統計学が苦手な私でも,「相関」という語をリポート中に認めれば,自然と重相関係数の記載を探してしまうし,その重相関係数の(統計学のtechnical termとしての)有意性がどの程度のものなのかを知ろうとする。ちなみに,「有意,有意性,有意差」という語も,考古学のリポートでは統計学のtechnical termとしてではなく,何となくデータに「それらしい関係が見られる」という理由で用いられている。限られた資料に基づく研究である考古学のデータにおて,統計学を取り入れることに慎重な意見があるのは知っている。それならば,他の語を使うべきと思うのだが,どうも考古学界にはそうした認識が希薄らしい。

統計学の話で関連するのが,考古学における実験の扱われ方だ。
農学では,実験計画法に基づいて実験計画が組まれ,それに基づいて実験を行い,実験データを統計処理して実験の考察を行う。その中で問題が明らかになればその点を批判的に考察して次の実験に活かしていく。実験計画の中では,どの程度の処理区を設けるべきか,サンプル数は最低どの程度必要か検討される。しかし,考古学における実験の多くは,処理区の設定が難しいためか,「実験」というより「とりあえず,やってみました」といった予備実験的なものが目立つ。サンプル数がかなり少ないのに,その実験結果からある傾向を導き出し,先に述べた「何となくそれらしい」という感覚で考察が行われる。そうした考察の中に「相関」や「有意」という言葉が安易に使われているのをみると,これは学術的なリポートなのか作文なのか分からなくなってしまう。

以上のことは,日本の考古学界全てに当てはまることではないだろうが,私が目にした幾つかの考古学におけるリポート(専門雑誌,研究報告等)で複数確認している事実だ。考古学のプロフェッショナルでない私でさえ違和感を感じるだから,考古学のプロフェッショナル達は厳しい危機意識を持って欲しい。
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2008年04月14日

池橋宏 「稲作の起源―イネ学から考古学への挑戦」

池橋氏は,稲の育種を専門とした農学者である。
農林水産省や国際稲研究所(IRRI)で稲の育種研究を長年行ってきた方で,稲の育種学分野では日本屈指の研究者のようである。
その池橋氏が自身の研究成果を基に,稲作の起源についての自説をまとめたのが,「稲作の起源―イネ学から考古学への挑戦」。

インターネット上での日本の考古学関係者の本書への意見では,本書後半の縄紋土器の籾圧痕に対する批判的な見解や民族事例から稲作の起源を推定している点を挙げて,否定的な意見が大勢のようだ。確かに縄紋土器の籾圧痕への見解は,深い考察ではないと思われる。しかし,本書のポイントはこの部分ではない。
本書のポイントは池橋氏の専門分野である,稲の系統分化についてであろう。稲は,多年生から一年生の系統が生まれてきたであろうこと,陸稲系統から水稲系統は生まれ難いという点だ。
焼畑や陸稲から水稲が発生するという考えは,育種学的には,かなり可能性の低いことになる。稲作は,焼畑に熱帯ジャポニカ種を直播して栽培が始まったとする説が最近の日本では主流となっているようだが,この説では植物体としての稲の特徴や分化と大きく矛盾してしまう。この点の重要性が,考古学関係者には理解されていないように思う。

もう一つ,本書では水稲直播栽培について,必ずしも移植栽培以前に位置する栽培技術でないとする点についてですが,私はかなり好意的に受け取っている。
本書を知る少し前から,水稲における直播栽培が本当に稲作の原点に近いものなのか,現代農業の現状を見て疑問に思っていた。本書でも触れられているが,直播栽培は移植栽培に比べて高度な技術を要する。現代の日本農業では,水稲栽培の省力化や作業負担の軽減等を目的として,しばらく前から直播栽培が検討されている。しかし,なかなか直播栽培が広がっていない。稲作を専門とする普及指導員から聞いた話だが,直播栽培は高度な技術を要するため,移植栽培を丁寧に行う農家にしか直播栽培は勧められない,と断言していた。また,栽培技術の高い農家が移植栽培と直播栽培の両方を行った現場を見ているが,水稲直播栽培の収穫量が概ね少ない。

私は,条件のあまり良くない水田に対して,直播が嗜好された傾向があるように感じている。収穫量の期待できない水田(下々田など)では,労力を削りながらも多少とも収穫量を得るために直播栽培が選択され,収穫量の期待できる水田(上田など)では,より多くの収穫量が期待される移植栽培が選択された,と考えることはできないだろうか。直播か移植かは栽培地の状態によって選択されたのであって,栽培技術の新旧とは直ちに結びつかない,と。

池橋氏のような農学の分野で活躍している研究者から,その専門分野の研究成果を丁寧に解説しながら考古学との架け橋を行うことは,ほとんどないように思う。考古学的視点で見た場合に本書を批判して終わりにすることは容易だが,そうした点に目を奪われることなく,稲の育種学の研究成果を冷静に理解しようとする気持ちが必要なように思う。

昨年(2007年),コーネル大学から発表されたリポート「Global Dissemination of a Single Mutation Conferring White Pericarp in Rice」では,白米はジャポニカ種からの突然変異で生まれたとし,初期の稲栽培者がこの品種(系統)を選抜して世界に広げたと推察している。この説は,図らずも池橋氏の主張と整合性の取れた内容だと思う。


<参考リンク>
Today's white rice is mutation spread by early farmers, researchers say
Global Dissemination of a Single Mutation Conferring White Pericarp in Rice
posted by itoh at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 考古学 | 更新情報をチェックする

2007年08月25日

旧石器捏造後

2007年5月26日27日の両日,数年ぶりに日本考古学協会の研究発表会に参加してきた。

明治大学が会場だったが,折からのはしか流行の影響を受けて,金曜の夕方あたりから明治大学も全学キャンパス立ち入り禁止に。事前に協会ウェブサイトで,はしかによる不測の事態があっても開催する旨の案内を確認していたけど,ヤッパリかと思った。

27日は,旧石器関係のテーマセッションがあり,最初から最後までその会場に参加した。

最初の石川氏の話は最もだと思った。
環境ホルモン濫訴事件とも,どこか通じるものを感じてた。
学会におけるディスカッションはどうあるべきか,また学界の研究成果を一般にどうやって訴えていくのかといった部分は,2000年の旧石器捏造発覚時から何にも変わっていないと思うのは,私だけだろうか?
posted by itoh at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 考古学 | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

群馬県岩宿発見の石器文化

杉原荘介著。
明治大学文学部研究報告考古学第一冊。
岩宿遺跡の発掘調査報告書。

旧石器ねつ造の際,どこかのシンポで,”原点に立ち返り,もう一度岩宿の報告書を読み直そう”みたいなことを,ある研究者(誰だか忘れた。故織笠氏だったか?)が言っていたのを思い出した。

本書は,きちんと論点が定まっており,明らかな調査事実のみで構成され,はっきりとしない点はその通りに記載して,後の研究にゆだねられている。石器についての記載も,ポイントをしっかり捉えられている。

さすが、”杉原荘介”。

写真は,土門拳の下で写真を学んだ故芹沢長介氏(当時は明治大学学生で,杉原荘介氏の下で考古学を学んでいた)によるもの。

岩宿遺跡を巡っては,発見者の相沢忠洋氏と明治大学との間で色々あったらしく,その確執は未だにあるらしいが,この報告書は,少なくとも旧石器研究に関心のある人にとっては必携だろう。

1956年発行ながら古本屋でよく見かけるので,手に入れるのに,そんなに苦労はしないと思われる。
posted by itoh at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 考古学 | 更新情報をチェックする