2012年03月11日

1年経って

Gigazineの2012年3月11日エントリー「3.11の話題が新聞の一面から次第に消えていくのを見える化してみた」は,非常にcoolな内容だ。
このエントリーで指摘されていることは,多くの人が漠然と感じていることだが,分かりやすく視覚的に示されると,改めて時間の経過を感じる。

被災地,特に津波被害を受けた地域や福島第一原発事故の影響を受けた地域では,復旧さえ未だ遠いゴール地点である。ガレキはかなり集められているとはいえ,完全に撤去されているわけではなく,一年経った今でもガレキ撤去作業が続いている。ガレキ処理については,各所で報道されているように,ヒステリックな感情によって,健康リスクを無視できるガレキさえ処理できないでいる。



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2012.3.11
まぁ、こんなもんでえぇんとちゃう?
明日は鎮魂の日なので…毒は今日の内に出しておこう 【ツイートとリツイート】

2011年04月30日

震災と食の安全

今回の震災で,最も痛感したのは,物流の有り難さだった。

前のエントリーでも述べたが,地震被害の比較的軽かった私の住む地域でも,本震後しばらくは食料品を始めとする物資の全てがほとんど購入できなかった。
震災の大きさから,誰しもが,いつ物流が復旧するのか見当つかず,掴み所のない不安を抱え,パニック寸前まで精神的に追いやられたと思う。かく言う私自身,そのような心境だった。
私は当初,大手スーパーマーケットやコンビニエンスストアから営業再開するのではと思っていた。それは,そうした企業の方が,震災の影響のない或いは少ない地域から物資を融通しやすく,迅速な営業再開に繋がると思ったからだった。
しかし,実際は違っていた。本震から数日後に青果市場が再開し,まず営業再開始めたのは昔ながらの小規模小売店だった。前後して,地元スーパーマーケットが店内販売を始めた(これが本震から約1週間後)。その次に大手スーパーマーケットが店内販売を再開し,その頃にコンビニエンスストアの一部でも,取扱いアイテムは少ないながらも店内販売を始めた。最も遅かったのは,大規模店や百貨店だった。
これは,自治体との災害協定の関係もあったかもしれない。
(地元スーパーも自治体と災害協定を結んでいたと思うが・・・。)

いつ物流が再開するか分からない中のどことなく緊迫感のある雰囲気,極端な言い方をすればいつ暴動が起きてもおかしくない雰囲気,そうした状況が地震被害の少なかった地域にもあり,その対応も必要だったように思う。
2~3日で物流が回復する見込みがあればあまり慌てないかもしれないが,先が見通せない中で人はどれだけ冷静に対処できるのか,閉店した店舗の空の商品棚を見るたびに漠然とした絶望を感じつつ,考えたものだった。
そして近くのスーパーマーケットが再開したときに感じた物資を入手できる喜び,(量的に)安心して食べることの出来る喜び,これは実際に体験しなければ決して理解できないだろう。

私の自宅地域には,ほ場整備完了地区があり,またインショップ型農産物直売所を運営している農業者グループが存在する。
本震後,近傍の農業者が,臨時の農産物直売所等を設置して販売した様子はなかった。
「地産地消」の謳い文句の一つに,「消費者と産地間の距離の短縮」や「農林水産物の安定的な供給の確保」というものがあったはずだが,今回の震災ではこれらは機能しなかったようだ。
避難所によっては,近傍の農業者から農産物の提供があったようだが,前のエントリーでも取り上げた自宅避難者に対しては関係のない話だった。
当然ながら農業者も被災しており,無理な要望はできない。

今回の震災で改めて,食品は「どこで生産されたか」ではなく「どのように流通されるか」が重要,ということを実感した。
最近,被災地を応援しようと報道で東北物産を購入しようという話題が取り上げられているが,こうした動きからも,「地産地消」は食の安全とは別の次元にあり,産業振興の一手段であることが分かる。

今回の震災で,食の安全は第一に量の確保(食事が摂れるかどうか)であり次に栄養のバランスということを,身をもって痛感した。

ライフライン復旧状況

以下は,3月11日以降の自宅地域のライフライン復旧状況。

電気は,3月15日に復旧したらしい。私は14~16日と職場に宿泊したので,自宅地域の詳細な復旧タイミングは不明。16日夜の帰宅時には,既に復旧していた。

水道は,水圧は低いながらも,3月14日に復旧。ただし,しばらくは深夜以降明け方まで,ほとんど出ない状態が続いた。

我が家は台所のみ都市ガスなのだが,3月26日に開栓作業の不在連絡票が入っていた。26~27日午後まで自宅不在としたため,ガスの開栓作業をしてもらったのは27日夜だった。

また,4月7日の余震では停電になったものの,都市ガス・水道は問題なく,電気も4月8日朝に復旧した。

なお,職場のビルから東側遠くに,火災を起こしたJX日鉱日石エネルギー仙台製油所の炎が,真っ暗な夜の中で明々と燃えているのが見えた。
既に報道されたように,この炎は,この後数日,昼夜を問わず燃えていた。

2011年04月24日

我が家周辺の震災の様子

県内では被害が少ない方と思われる我が家近くで,今でも確認できる地震被害。

まずは我が家の被害。
食器の損壊と玄関収納のタイル剥がれが1か所。
ほかに壁紙のヒビが数箇所などあるが,いずれも軽度のもの。
一応,加入の損保会社の査定を受け,目視だが2級建築士のチェックがあったが,構造上は問題ないだろうとのこと。
念のため,後日家を建ててもらった工務店にもチェックしてもらう予定。
食器棚の中で割れた食器 剥がれたタイル

我が家の前の道路と電柱。
電柱根元の写真は状況が,分かりにくいかもしれない。地震前にはなかった隙間が,電柱周りにできている。
道路のヒビ 隙間の開いた電柱

我が家近くの公園に設置された,臨時の震災ゴミ集積場。
既に閉鎖されているにも関わらず,写真に写っている子連れ家族のようにゴミを捨てにくる輩がいる。家庭ごみの収集は再開しているにも関わらず,である。
震災地にも,こうしたモラルのない人間がいる。
2枚目は,ビル屋上に設置されたアンテナ(携帯電話用か?)が,貯水タンクに寄りかかっている。
臨時の震災ゴミ集積場 ビル屋上のアンテナ

歩道の被害状況。
1枚目のカラーコーン部分は,マンホールが盛り上がっているもの。また,真新しいアスファルト部分は,地震で大きなヒビ及び隙間ができた部分を応急補修したもの。歩道をよく見ると,波打っているのがわかるだろうか。
2枚目は,地盤沈下の様子。震災前は側溝と歩道の段差はほとんどなかったが,地震後は写真のように段差ができている。この写真でも,歩道が波打っているのが分かる。
3枚目の歩道の中にあるアスファルト部分は,地震でマンホール周辺が大きく隆起したため,緊急補修したところ。奥に写っている電柱1本が大きく傾いているのが分かるだろうか。
歩道の被害1 歩道の被害2 歩道の被害3

我が家近くの公園にある,休憩所付近の被害。柵が土台のコンクリートごと崩れている。
2枚目は,給湯器(電気温水器 or エコキュート)の貯水タンクが傾き,近くの電柱に寄りかかっている。
公園の被害 傾いた給湯器のタンク

最後に,我が家近くに建設された仮設住宅。手前に写っている平屋の連棟がそれ。
写真奥には,いまだに修復されていない瓦屋根の家が写っている。
仮設住宅
タグ:画像

2011年04月13日

災害における行政対応の課題

今回の震災で,多くの疑問を感じたことがある。
それは,自宅避難者への対応だ。

この点は,特に津波被害の大きかった沿岸部の事例がマスメディアでも取り上げられたが,私のような,津波被害はなく地震による被害も大きくなかった地域に住む者にとっても生活に支障が生じた。
私の住む地域では,本震発生後1週間頃から,徐々にではあるがスーパーマーケットで食料を調達できるようになった。それまでは,小売店の多くは閉店し,一部で店頭販売,しかもカップラーメン数個を買うために,大行列に最大で数時間並ぶ必要があった。
先の見通せない物資不足が続く中,街全体が殺気立っていて,何が起こるか分からない雰囲気があった。
一方,私の地域の指定避難所では,震災翌日にはおにぎりや豚汁といった炊き出しが振る舞われていた。

水道は,私の住む地域では本震後3日後から少しずつ出るようになった。
本震翌日から指定避難所で給水所を設置したのだが,市町村が広報車等によるアナウンスを行わなかったため,指定避難所から離れている私の自宅近隣では,誰も給水所の設置を知らなかった。
給水量は,当初1家族2Lが原則とされた。供給能力の問題からこのような制限が行われたことは理解できるが,乳幼児のいる家庭ではかなり厳しい給水量と思われた。

震災翌日,私は偶然にも給水所設置を知ったので,指定避難所に自転車で行って飲料水をもらった。
その際,食料品の支給はないのか指定避難所の受付に聞いたところ,指定避難所に避難した人のみを対象とした炊き出しで,食料品の支給ないとの回答だった。
指定避難所のスタッフは,時間をもてあましている様子だった。
消防団などボランティアベースのスタッフも含まれていたとは思うが,指定避難所の運営に人的余裕があるのであれば,自宅避難者に対して,少なくとも給水所設置の広報をして欲しかった。

自宅が無事な場合,多少の食料は手元にあるだろう。しかし,電気,都市ガス,水道が完全にストップしていつ復旧するか全く分からず,一般店舗での購入もかなり難しい状況では,少量でも援助を受けられることが分かるだけで,精神的にかなり安心できる。
今回のような未曾有の大震災では行政機能がかなり麻痺したが,そうした中でも,多少とも行政サービスを提供できる地域では,可能な限り住民への支援態勢を示すことで,住民に落ち着いて行動できる精神的なゆとりをもたらすと思われる。

以上の点は,あくまで私が見た限りでの意見であり,私の知らない様々な事情があったとは思われるが,地域によっては行政がもう少しできることがあったのではないかと感じている。

またこれらは,被害の比較的少なくライフラインの復帰が早かった地域の状況である。
いまだに十分な支援を得られず,日々の食料を十分に確保できない自宅避難者や避難所があると聞いている。
まずはこうした住民に対して,少しでも早く物資を届けることが強く望まれる。

最後に,自宅避難者であっても,程度の違いはあれ,被災者であることに変わりはない。


いずれにしても,今回の震災を受け,災害時の行政対応については,抜本的に見直されるべきだろう。